横山書法芸術館「自由自在」
2025.09.23
目前在橫山書法藝術館 @tmofa_hcac 展出的「自由自在」。
9/21 舉辦了我與策展人盧慧紋@hui_wen_lu 講座。
本次展覽的執行督導王怡真 @harper.artsake ,特地細心地寫下了她對講座的感想。
讀到她的文字時,我感到非常欣喜,內心也滿是感動。
帶著感謝的心情,把這篇文章分享給大家。
#Repost @harper.artsake with @use.repost
・・・
川尾朋子 @kawaoto
Hitomoji-Project-Women
9月21日聽策展人盧慧紋老師與藝術家川尾朋子談作品〈Hitomoji-Project-Women〉,心裡其實有一種難以言說的震動、當場還被同事看到在忍住淚水的畫面。
座談開場朋子以「什麼是書法?」開始討論,對朋子而言,書法就是「無法重寫,一氣呵成的藝術—這就像人生,你無法回到過去。」
好比生活中「每一個瞬間都是往死亡前進一步」,這是她基於「慎思生命有限」的哲學精神。所以只把作品瞬間性獻給當下的自己。這樣的態度,讓書寫從單純的筆墨變成一種「生命現場」。
這個計畫也不斷地進行當中,朋子每年都會創作一個字,甚至她希望在生命的最後遺體也可以成為ㄧ個字。
作品名命題中,「Hitomoji」,Hito (人 / ひと):人、Moji (文字 / もじ):文字。直譯就是「人字」,但我覺得她真正要做的是,把「人」的呼吸、故事、掙扎和幸福,都交給一個字去承載。
在創作之前,她會先花很長時間訪談受訪者,還會在訪談前查了台灣重大年表事紀對照,她們聊家庭、年齡、興趣、壓力、對社會的看法、甚至如果能重生,想成為男性還是女性嗎?
…最後,才讓對方選出一個字。然後她一氣呵成,沒有重來的打算。
這些字背後都有很重的生命故事。像吳佩倫的「做」,其實來自育兒的迷惘;趙一珊的「努」則是同志婚姻合法那一天,努力爭取來的權利;丹珮瑜的「幸」則是抗癌後,重新學會在日常裡找到幸福。這些字並不只是「書法作品」,而是一個個瞬間被放大成為身體的痕跡。
策展人也分享,「她的身體」(Her Body)是在策展時第一個想到的主題,自古以來對於身體跟書法的觀察從來就不是分開的。蘇軾:「書必有神、氣、骨、肉、血,五者闕一,不為成書也。」,她讓這些比喻重新活了起來。她的書寫更像一場戲劇張力的表演,既是受訪者的身體,也是書家的身體,更是觀者在現場的感受。
座談最後川尾也說有時受訪者選擇的字也有跟自己預期不一樣的時候,他很喜歡碰撞不同的思考方向,也讓自己成長很多。在我看來,《Hitomoji-Project-Women》並不是要回答什麼關於女性或社會的宏大命題,而是透過每一個「字」,把人的有限、脆弱和堅持都留在紙上。當代書法對我來說不是只有換了工具或媒材,這比單純的書法技藝更有張力,作品媒材中的攝影和錄像也是符合當代書法藝術的問題意識,重新去想:書法是什麼?字,除了傳遞訊息之外,還能不能承載一個人的生命?
最後最後
很感謝朋子老師在台灣創作了這樣感動的作品,也謝謝策展人、怡伶和橫山書法藝術館團隊、特別是佩芸的陪伴和投入,也很感動川尾老師的真心,最後還寫信給大家
朋子官網:書家・書道家 川尾朋子 – KawaoTomoko.com
部分照片攝影/ANPIS FOTO王世邦
—- ↓ 日本語訳 ↓ ———————————
現在、横山書法芸術館 @tmofa_hcac で開催中の「自由自在」。
9月21日には、私とキュレーター盧慧紋さん @hui_wen_lu の講座が行われました。
今回の展覧会のエグゼクティブディレクターである王怡真さん @harper.artsake が、わざわざ丁寧にこの講座への感想を書いてくださいました。
彼女の文章を読んで、私はとても嬉しく、心がいっぱいに満たされました。
感謝の気持ちを込めて、この文章を皆さんにシェアします。
#Repost @harper.artsake with @use.repost
・・・
川尾朋子 @kawaoto
Hitomoji-Project-Women
9月21日、キュレーター盧慧紋先生とアーティスト川尾朋子さんの《Hitomoji-Project-Women》についての対談を聴きました。心の奥に言葉にならない震えを感じ、その場で涙をこらえているのを同僚に見られてしまったほどでした。
対談の冒頭で朋子さんは「書とは何か?」という問いから語り始めました。朋子さんにとって書とは「書き直しができない、一気呵成の芸術――それは人生と同じで、過去に戻ることはできないもの」。
「人生の一瞬一瞬は死へと一歩ずつ近づいている」という、有限の生命を思う哲学の上に立って、作品をその瞬間だけに捧げる。その姿勢は、書を単なる筆墨の営みから「生命の現場」へと変えていました。
このプロジェクトは今も続いており、朋子さんは毎年一文字を創作しています。彼女は「最期には自分の遺体すら一つの文字になってほしい」と願っているそうです。
作品名の「Hitomoji」は、Hito(人)、Moji(文字)。直訳すれば「人字」ですが、彼女が目指しているのは、「人」の呼吸や物語、葛藤や幸福をすべて一つの文字に託すことだと思いました。
制作の前には長時間のインタビューを行い、台湾の歴史年表を参照して時代背景も照らし合わせます。家族、年齢、趣味、プレッシャー、社会観、さらには「もし生まれ変わったら男性になりたいか女性になりたいか」などまで語り合った後に、最後にその人自身が一文字を選ぶのです。そして彼女は一気呵成に書き、書き直すことはしません。
その文字には重い人生の物語が宿っています。
例えば――
呉佩倫さんの「做(行う)」は、育児の迷いから。
趙一珊さんの「努(つとめる)」は、同性婚が合法化されたその日に、勝ち取った権利から。
丹珮瑜さんの「幸(しあわせ)」は、がんを克服した後、日常に幸せを見出したことから。
それぞれの文字は単なる「書作品」ではなく、人生の瞬間が身体の痕跡として拡大されたものなのです。
キュレーターは「Her Body(彼女の身体)」を最初にテーマとして思い浮かべたと語っていました。古来より身体と書は切り離せないものであり、蘇軾の「書必有神、氣、骨、肉、血、五者闕一、不為成書也(書には神・気・骨・肉・血が必要で、一つ欠けても成立しない)」という言葉を現代に蘇らせています。彼女の書はまさにドラマのような表現であり、受訪者の身体であり、書き手の身体であり、観る者の身体感覚とも響き合います。
対談の最後に朋子さんは「受訪者が選ぶ文字が自分の予想と違うこともあるが、その衝突がむしろ新しい考え方を生み、自分を成長させてくれる」と語りました。
私にとって《Hitomoji-Project-Women》は、女性や社会について大きな答えを出すものではなく、一文字一文字に「人の有限・脆さ・強さ」が残されていく営みのように思えます。現代書法は単に道具や媒体を変えることではなく、より強い表現力を持つもの。写真や映像を媒介に含むことも、現代の書に対する問いかけとしてふさわしい。「書とは何か?」「文字は情報を伝えるだけでなく、人の生命をも担えるのか?」を改めて考えさせられました。
最後に――
台湾でこのように心を打つ作品を生み出してくださった朋子先生に感謝します。また、キュレーター、怡伶さん、横山書法芸術館のチーム、特に佩芸さんの伴走と尽力に心からの感謝を。そして川尾先生が最後に皆へ宛ててくれた真心のこもった手紙にも胸を打たれました。
川尾朋子公式サイト:書家・書道家 川尾朋子 – KawaoTomoko.com